熊野川町小口 2
この小口という地名は、かの西行法師にも歌われています。
雲取や志古(しこ)の山路はさておきて 小口(をぐち)が原のさびしからぬか
雲取山の志古の山路がさびしいのはさておいて、小口が原がさびしくないことがあろうか。 『山家集』
実際の小口の河原は上の写真のとうりまったく寂しいことはありません。川はめちゃくちゃ綺麗で、天気の良い日は光輝いています。
私は、この歌を読むたびに、この さびしからぬか という表現がいつも???なわけです。
これはあくまで、想像ですが、
西行法師の歌は常に死という事を主題、読まれています。
厳しい寂しい山路をなんとか超えて小口にたどり着き、この美しい河原で着物を脱ぎ洗濯をする、あるいは、食事をとるのに、村人の接待はかかせません。
それは心の暖まる歓迎を受けたと考えられます。
その暖かさと河原の美しさ、法師は、生に深い喜びを感じ得たことでしょう。
その心が、法師の死を追求する心の葛藤を生み、より深い寂しさに法師は募らせたのではないでしょうか。
まあ、想像の域はでませんし、単純に訪れた日が小雨か何かで寂しい日であった事も考えられますが😀
また河原を歩きながらあの世とこの世の境
賽の河原を思ったのかもしれません。
いずれにしろ、今も昔も小口の河原は
美しくあります。
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